常茂恵について│大正14年山口県萩市で創業した純和風旅館│萩の宿 常茂恵

萩の宿 常茂恵

萩の宿 常茂恵

◆宿泊日

◆ご利用人数

携帯サイト

宮島ホテル まこと

パンくず ホーム パンくず常茂恵について
大正14年創業、城下町「萩」の歴史を静かに見つめてきた萩の迎賓館。
美しい日本庭園とゆったりとした客室、心を込めたお料理で皆様をお迎えいたします。

誇り

常茂恵の誇り

文化と歴史の薫る宿、
萩の宿 常茂恵は、萩の迎賓館でありたいと思います。萩は美しい町です。

前面に日本海を臨み、後方には中国山脈の裾野を抱え、松本川と橋本川が形作る三角州に築かれた城下町。
ここに住む人々は、萩の歴史を誇り、往時と変わらぬ町並みを愛し、静かにこの町に寄り添って生きています。

萩の宿 常茂恵は、大正14年にこの地「萩」で創業いたしました。
萩に中央の要人を迎えるにふさわしい宿を、との思いで造られたこの宿は、まさに萩の迎賓館であったといえます。
創業以来、萩の近世の歴史とともに歩み、時代を見つめ、多くのお客様に支えていただき、現在の私たちがあると思っております。

ページトップへ

おもてなし

常茂恵のおもてなし
  • 常茂恵のおもてなし
  • 常茂恵のおもてなし
  • 常茂恵のおもてなし
  • 常茂恵のおもてなし
  • 常茂恵のおもてなし

「萩の宿 常茂恵」は、宿そのものが、萩・城下町をイメージしています。
館内では、萩の歴史や文化を感じていただき、また、お部屋では、和のしつらえの中、日本庭園を眺めながら、萩前の海の幸を味わっていただきたいと思っております。
どうぞ、非日常の時間をお過ごしください。

創業以来
「萩の宿 常茂恵」が一途に守り、受け継いできたもの。
伝えてゆきたいもの。
それは、萩の迎賓館としてお客様をお迎えする心構えに他なりません。
「ただいま」とお客様よりお声かけをいただけるような宿でありたいと私たちは願っております。

ページトップへ

歴史

常茂恵の歴史
  • 常茂恵の歴史
  • 常茂恵の歴史
  • 常茂恵の歴史
  • 常茂恵の歴史
  • 常茂恵の歴史

萩の地に常茂恵が誕生したのは、大正14年11月3日のこと。
「萩には中央からの客人をもてなす宿泊施設がない」。貴族院議員の滝口明城 氏、後の総理大臣田中義一氏、近代日本画家の巨匠 松林桂月氏、 実業家で後の衆議院議員・久原房之助氏ら郷土の名士が、現支配人の曾祖父、厚東常吉に相談したのがきっかけでした。

常吉は名前の一文字「常」に「共に栄え繁り、恵みがあるように」との願いを込めて「常茂恵」と命名。以来、昭和天皇の御宿泊所に選ばれるなど、萩の迎 賓館と呼ぶにふさわしい由緒正しき時間を今日も紡ぎ続けています。

また常吉は、衆議院議員や山口県会議長などを歴任した政治家にして実業家でもあり、松陰神社の建立に尽力し、松本川に架かる萩橋を私費で建設、寄贈したことでも知られています。

ページトップへ

常宝録

  • tab1
  • tab2
  • tab3
  • tab4
「明治維新胎動之地」佐藤栄作書

「明治維新胎動之地」佐藤栄作書

幕末の激動期に松下村塾で教鞭をとり、木戸孝允、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋ら門下生に多大な影響を与えた明治維新の立役者の一人、吉田松陰。

その功績を称える松陰神社の大鳥居をくぐり、石畳の参道を進みゆくと左手に「明治維新胎動之地」と刻まれた石碑が見えてきます。
揮毫は、山口県出身で第61・62・63代総理大臣、佐藤栄作。発案したのは常茂恵の創業者、厚東常吉で昭和43年に完成したものです。その題字の原本となった貴重な書は当宿で継承。展示室にて常設公開しています。
題字を写し取るための赤鉛筆の線に、石碑建立の様子を垣間見ることができます。ちなみに佐藤の曽父、佐藤寛作は松陰の師だったそうです。

「薩長土連合密議之處」岸信介書

「薩長土連合密議之處」岸信介書

文久2(1862)年、松陰神社の一角にあったという鈴木勘蔵の宿屋に3人の藩士が集いました。まだ無名だった薩摩の田上藤七と土佐の坂本龍馬が、長州で尊王攘夷派のリーダー格だった久坂玄瑞を訪ね、話し合いを持ったのです。

それを記念した「薩長土連合密議之處」碑が昭和43(1968)年、宿の跡地に建立されました。当宿では石碑の題字の原本である、山口県出身で元総理大臣岸信介の書を受け継ぎ、展示公開しています。

「密議」の内容は諸説あり、薩長土連合の密約を交わしたとも「何かあったら協力しよう」程度のものだったともいわれています。いずれにせよ、薩長同盟成立の4年前に薩長土の藩士が会談していたというのは実に興味深い話です。

「萩を、常茂恵を見つめ続ける人間国宝の書【常茂恵】」三輪休和書

「萩を、常茂恵を見つめ続ける人間国宝の書【常茂恵】」三輪休和書

「一楽、二萩、三唐津」と称され、茶陶としての地位を確立している萩焼ですが明治以降、長らく低迷した時代がありました。それを表舞台へと引き戻したのが三輪休和(第十代休雪、1895~1981)。従来の桃山茶陶に固執することなく、萩焼のルーツである高麗茶陶の研究に没頭。「休雪白」と呼ばれる独自の作風を完成させるなど生涯にわたって茶陶の再興に尽力し、人間国宝にも認定されています。

揮毫は、山口県出身で第61・62・63代総理大臣、佐藤栄作。発案したのは常茂恵の創業者、厚東常吉で明治43年に完成したものです。その題字の原本となった貴重な書は当宿で継承。展示室にて常設公開しています。

常茂恵の創業者である厚東常吉は、友好関係にあった休和に宿名の揮毫を依頼。そのうちの一点は当館ギャラリー内に展示。もう一点はフロントの頭上に掲げられ、萩と常茂恵の歩みを見守り続けています。

四文字に込めた想い〈誠〉の重み 誠為至極」犬養毅書

四文字に込めた想い〈誠〉の重み 誠為至極」犬養毅書

幕末の激動期に松下村塾で教鞭をとり、木戸孝允、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋ら門下生に多大な影響を与えた明治維新の立役者の一人、吉田松陰。
その功績を称える松陰神社の大鳥居をくぐり、石畳の参道を進みゆくと左手に「明治維新胎動之地」と刻まれた石碑が見えてきます。

揮毫は、山口県出身で第61・62・63代総理大臣、佐藤栄作。発案したのは常茂恵の創業者、厚東常吉で明治43年に完成したものです。その題字の原本となった貴重な書は当宿で継承。展示室にて常設公開しています。

題字を写し取るための赤鉛筆の線に、石碑建立の様子を垣間見ることができます。ちなみに佐藤の曽父、佐藤寛作は松陰の師だったそうです。


ページトップへ

宿泊予約はこちら

お問い合わせはこちら