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館内展示室

大正14年創業、城下町「萩」の歴史を静かに見つめてきた萩の迎賓館

  • 藩政時代、毛利氏が居城とした萩城を中心に栄えた36万石の城下町として。
    幕末、木戸孝允ら名立たる志士を輩出した明治維新胎動の地として。
    「一楽、二萩、三唐津」と称される萩焼の故郷として…。

    数々の歴史と文化の舞台となった萩の地に常茂恵が誕生したのは、大正14年11月3日のことです。
    「萩には中央からの客人をもてなす宿泊施設がない」。貴族院議員の滝口明城氏、後に第26代総理大臣となる田中義一氏、近代日本画家の巨匠・松林桂月氏、
    実業家で後の衆議院議員・久原房之助氏ら郷土の名士が、厚東常吉に相談したのがきっかけでした。
    常吉は、名前の一文字「常」に「共に栄え繁り、恵みがあるように」との願いを込めて「常茂恵」と命名。

    以来、昭和天皇の御宿泊所に選ばれるなど、萩の迎賓館と呼ぶにふさわしい由緒正しき時間を今日も紡ぎ続けています。

歴史を語る常茂恵の館内展示室

旅に「、」   こころに「。」を常茂恵では、約2700坪の敷地面積のうち1000坪余を庭にあて、すべての客室を離れ風に独立。
数も25室にとどめています。そのゆとりのある空間を活かして、展示室や回廊、各客室に萩市や山口県
あるいは当宿と縁のある偉人の書画を展示しています。
皆様に、じっくりと萩の旅情に浸っていただくためです。

書画の作者を一部紹介すると…
萩で14歳から約13年を過ごし、日本初の総理大臣となった伊藤博文。
萩出身で「明治維新の三傑」の一人、木戸孝允。
総理大臣の山懸有朋、田中義一、桂太郎(以上、萩出身)、岸信介、寺内正毅(以上、山口出身)。
萩出身で近代日本画の巨匠、松林桂月。

いずれも歴史に名を残す名士ばかりです。
  • 「明治維新胎動之地」 佐藤栄作書

    幕末の激動期に松下村塾で教鞭をとり、木戸孝允、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋ら門下生に多大な影響を与えた明治維新の立役者の一人、吉田松陰。

    その功績を称える松陰神社の大鳥居をくぐり、石畳の参道を進みゆくと左手に「明治維新胎動之地」と刻まれた石碑が見えてきます。

    揮毫は、山口県出身で第61・62・63代総理大臣、佐藤栄作。
    発案したのは常茂恵の創業者、厚東常吉で昭和43年に完成したものです。
    その題字の原本となった貴重な書は当宿で継承。展示室にて常設公開しています。
    題字を写し取るための赤鉛筆の線に、石碑建立の様子を垣間見ることができます。
    ちなみに佐藤の曽父、佐藤寛作は松陰の師だったそうです。
  • 「薩長土連合密議之處(さっちょうどれんごうみつぎのところ)」 岸信介書

    文久2(1862)年、松陰神社の一角にあったという鈴木勘蔵の宿屋に3人の藩士が集いました。
    まだ無名だった薩摩の田上藤七と土佐の坂本龍馬が、長州で尊王攘夷派のリーダー格だった久坂玄瑞を訪ね、話し合いを持ったのです。

    それを記念した「薩長土連合密議之處」碑が昭和43(1968)年、宿の跡地に建立されました。
    当宿では石碑の題字の原本である、山口県出身で元総理大臣岸信介の書を受け継ぎ、展示公開しています。

    「密議」の内容は諸説あり、薩長土連合の密約を交わしたとも「何かあったら協力しよう」程度のものだったともいわれています。
    いずれにせよ、薩長同盟成立の4年前に薩長土の藩士が会談していたというのは実に興味深い話です。
  • 「萩を、常茂恵を見つめ続ける人間国宝の書【常茂恵】」三輪休和書

    「一楽、二萩、三唐津」と称され、茶陶としての地位を確立している萩焼ですが明治以降、長らく低迷した時代がありました。それを表舞台へと引き戻したのが三輪休和(第十代休雪、1895~1981)。従来の桃山茶陶に固執することなく、萩焼のルーツである高麗茶陶の研究に没頭。「休雪白」と呼ばれる独自の作風を完成させるなど生涯にわたって茶陶の再興に尽力し、人間国宝にも認定されています。

    揮毫は、山口県出身で第61・62・63代総理大臣、佐藤栄作。発案したのは常茂恵の創業者、厚東常吉で明治43年に完成したものです。その題字の原本となった貴重な書は当宿で継承。展示室にて常設公開しています。

    常茂恵の創業者である厚東常吉は、友好関係にあった休和に宿名の揮毫を依頼。そのうちの一点は当館ギャラリー内に展示。もう一点はフロントの頭上に掲げられ、萩と常茂恵の歩みを見守り続けています。
  • 「四文字に込めた想い〈誠〉の重み 誠為至極」 犬養毅書

    五・一五事件での「話せばわかる」発言も有名な犬養毅が<乙丑夏>、
    つまり1925(大正14)年夏に来萩した際の揮毫です。
    親交があった常茂恵創業者の厚東常吉が依頼したもので、客室「蘭の間」にて見ることができます。

    誠は至極為り(まことはしごくなり)

    「誠は最高のものである」との意味ですが、出典や犬養の真意は定かではありません。
    犬養は、同年5月、逓信大臣および衆院議員を辞任。
    政界から引退するも、支持者たちが7月の補欠選に勝手に立候補させ当選、
    受諾という慌しい時期を迎え、その6年後には第29代内閣総理大臣に就任しています。
    何があろうとも誠意を持ち続ける。
    そんな揺るぎない意思の表れにして、11月に開業を控えていた
    常吉へのメッセージだったと推測できます。